能仁寺

所在地:埼玉県飯能市
訪問日:2020年11月30日
更新日:2021年1月29日

概要

能仁寺は,埼玉県飯能市にある曹洞宗の寺院である.山号は武陽山.

(出典:地理院地図)

上の地図の中央下に,西武池袋線の飯能駅がある.そこから左上に目を動かしていくと,「天覧山」という山の南麓に能仁寺があるのが確認できる.すぐ近くの「市民会館」の北には飯能市中央公園という公園があり,無料駐車場が併設されている.

山門・参道

この日は午後が休みで,天気も良かったので,ふと思い立って飯能の山に登ることにした.上の地図にも載っている天覧山と,その北西の多峯主山(とうのすやま)である.飯能市中央公園の駐車場に車を停めたのち,天覧山の方へ歩き出すと,正面には能仁寺の立派な山門があった.公園や天覧山には何度か訪れたことはあるが,能仁寺についてはあまり記憶がなく,せっかくなのでお参りしていこうと考えた.

南から見た能仁寺の山門の写真.ちょうどT字路の突き当たりにあり,その存在感は大きい.冬のおだやかな昼下がりの日差しが当たって,大変落ち着いた雰囲気である.

道を渡って門の前まで来ると,右側にはこのような案内板があった.これによれば,文亀(1501-4)年間に中山家勝という人物が斧屋文達という僧を招いて創建したらしい.また,江戸時代中期の大名,黒田直邦は,この能仁寺を菩提寺としているようである.裏手の多峯主山には黒田直邦の墓がある.

近くで見た山門.色合いが落ち着いていて大変心地よい.門からまっすぐ奥が見渡せないのもまた面白いと思う(門と参道の位置関係について時代や宗派などと関連して傾向は見られるのだろうか).門の先に上り坂がある様子も見て取れる.

門を入って少し上り坂となっている砂利道の参道を進むと,正面には木々の向こうに鐘楼と本堂の屋根が現れる.紅葉が夕日を浴びて美しかった.山麓の緩やかな傾斜地に建っているため,本堂などは少し土を盛ったところに建っており,参道からは見上げる形になる.

左を向くと,このような風景である.右側に見えているのが中雀門で,この石段を登って右に折れ中雀門を入ると,正面が本堂である.つまり,山門からきた参道は2度折れ曲がる形になる.

石段を登り,中雀門越しに本堂を見たところ.本堂の中心と門の中心がずれているのが面白い.

中雀門から本堂へ

中雀門をくぐると,正面には立派な本堂が現れる.

寺院建築のことは全く分からないが,派手な装飾の少ない,質実剛健な印象を受ける.よく見ると,屋根の一番手前に左右2個ずつある宝珠が面白い.手前の謎のオブジェが何かは見るのを忘れてしまった.次回行ったときにまた確かめようと思う.

本堂は左右対称な建物だが,左側だけに松の木があることにより,全体として左右非対称な印象も受ける.これを踏まえて一つ前の写真を見ると,中雀門というフレームから中を覗くと,松の木と本堂が上手にそこに収まるようになっていることに気づき,勝手に嬉しくなる.

右を向くとこのようである.右が鐘楼,奥が大書院である.能仁寺のホームページによると,鐘は人間国宝であった香取正彦氏(1899-1988)が鋳造したものらしい.

この場所で撮った動画.

本堂の左側には,このような開山堂という建物がある.手前の紅葉が大変美しい.この開山堂には,能仁寺を開いた斧屋文達の像が安置されているようだ.

本堂の目の前へ進み,お参りを済ませたところでふと前を見ると,カマキリが木の階段を上っていた.

日差しを浴びてとてもよい色合いだったこともあり,しばらくカマキリが階段を上る様子を眺めていた.下の動画は,カマキリが頑張って階段を一段分登っていく様子.

飯能戦争の碑

開山堂のさらに左に,飯能戦争についての看板が立っていた.

この看板によれば,慶應4年5月23日未明,現在の狭山市内の笹井河原(入間川の河原)で旧幕府軍と新政府軍の戦闘が始まり,その日の朝のうちに戦場は飯能の市中へと広がって,この能仁寺を含む寺院や民家が多数焼かれてしまった.能仁寺は,その数日前に飯能の町に現れた旧幕府軍の一隊「振武軍」の本営となっていたとのことである.戊辰戦争の中で飯能でも戦争が行われていたということをこのとき知り,よい勉強になった.

脇にはより古くからありそうな碑も立っていた(クリックすると高画質な画像に飛びます).

上には大きく「唱義死節(義を唱え節に死す)」とあり,碑の日付は昭和12年5月23日となっている.撰ならびに書は尾髙豊作であると書かれているが,なるほど,碑の文章をよく読むと,飯能戦争で敗れ自刃した渋澤平九郎が予(自分)の祖父(尾髙惇忠)や渋澤青淵翁(渋沢栄一)の弟であるという旨が書かれている.また,題字は渋沢敬三(渋沢栄一の孫)のようだ.碑の後半では,飯能戦争で敗れた振武軍の戦士達はただ己の忠義を尽くして戦った結果反逆者となってしまった哀れむべき者たちであり,その事蹟を後世に残すべく碑文を記すという仕事を私が任された,というようなことが書かれているように読める.

碑の地点から後ろを振り返ると,冬の午後の日差しに照らされて,能仁寺の本堂がたたずんでいた.大変心地よい静けさのなか,しばし飯能戦争で戦い死んでいった人々に思いを馳せる.

その後このような紅葉の写真を撮っていると,一人の男性に,能仁寺と一緒に写真を撮ってくれないかと話しかけられた.コロナ禍で,同じコミュニティに属する人間とのオフラインでのコミュニケーションが減っている中,このような旅先での一期一会な出会いこそがオンラインになりえないものとして残っているということに気づかされた.このときの男性とはこの後多峯主山の山頂でも偶然お会いし,それも一興であった.

能仁寺にはこのほかにも建物があり,また大書院の奥にある庭園も有名なようだが,この日は日が暮れないうちに山登りをすることを優先し,天覧山へと先を急いだ.

情報

住所:〒357-0063 埼玉県飯能市飯能1329

公共交通機関:西武池袋線飯能駅徒歩約20分,飯能駅より名栗方面の国際興業バスにて「天覧山下」バス停下車約5分

駐車場:今回は飯能市中央公園の無料駐車場を利用した