埼玉県道395号線(天目指峠) 第2回

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所在地:埼玉県飯能市
訪問日:2020年10月3日
更新日:2021年1月4日

峠にて

これは「第1回」の最後の写真と同じものである.峠はゆるやかなカーブかつ小さな切り通しとなっていて,名栗側にはこのように未舗装の小さなスペースと東屋があった.自転車のスタンドもあり,この峠はサイクリストの間でも有名なのかもしれないと思われた.先客もいなかったので,この砂利のスペースに車を停めて少し周囲を歩き回った.

峠の標識である.ローマ字併記のおかげで,たしかに「あまめざす」と読むのだと再確認できた.また,右には「県立奥武蔵自然公園」の古びた標識がある.埼玉県のホームページによると,飯能市,日高市,入間市にまたがる21,839.0ヘクタールもの範囲がこの自然公園として指定されており,指定年月日は昭和26年3月9日ということである.もしかしたら昭和26年からずっと立っている看板なのかもしれない(標識をもっとよく見ればいつのものか判明したかもしれない).

近くにはこのような「関東ふれあいの道」の案内看板もある.看板によれば,この天目指峠を通過する「伊豆ヶ岳を越えるみち」は,このあたりの尾根筋を通って,子の権現や正丸峠などを結ぶ道のようである.

この地図の部分を拡大してみると,高麗川や鉄道に沿って走る国道299号線と,今走っている県道395号線とが,同じ「一般道路」という枠で扱われていて面白い.また,「子の権現」へアクセスする道(こちらは県道ではなく林道である)も同じ一般道路となっている.いつの看板かは分からないが,もしかしたら正丸トンネル開通(1982年)より前のものかもしれない(環境庁が環境省になったのは2001年だから,少なくともそれ以前の看板であることは分かる).

通ってきた道を振り返るとこのような光景である.道のひび割れ,ガードレールの古さ,幅員の狭さなどが味わい深い.また,どこまでも杉林が続いているのも印象的である.広大な山中に植林をしてきた林業従事者に思いを馳せた.

切り通しの西側斜面には,このような「天目指峠開鑿記念碑」がある.「昭和卅五(35)年三月竣功」と書いてあるが,それ以前にここにどのような道が存在していたのかは現地では分からなかった.また,「名栗村・飯能市」とあることから,当時はここが名栗村と飯能市の境であったことがうかがえる.これを揮毫した栗原浩という人物は,1956年から1972年まで埼玉県知事を務めた政治家である.

名前の由来

峠の北側すぐのところには,このような看板があった.このタイプの看板は,飯能市内のハイキングコースなどでよく見る気がする.これも「環境庁」とあるから,約20年以上はここにあり続けていることが分かる.

看板によれば,

天目指峠の由来は、天目はアマメと読み、これはこの付近の方言で豆柿を意味しています。豆柿というのは、山地に自生する親指頭大の熟すと紫色になる柿の一種で、このあたりは柿が非常に豊富であったということです。また「指」とは、山地で行われる原始的耕作法で、山を焼いてそのあとに種をまく焼畑のことです。

ということで,由来としては,天目指は天目+指だったようである.多くの人が天を目指す峠という意味合いを連想することは必至と思われるが.

峠北側の風景

峠の北側は,またすぐに急な下り勾配となる.

峠を境に都道府県が変わるような場合には,道の状態も大きく変わることがあるが,ここは現在は両側ともに埼玉県飯能市であるし,特に道の規格なども変わらないようである.

ここから右下を見ると,木々の間からこれから進んで行く道筋が見渡せた.

急斜面を九十九折りでがんばって上り下りする様子が凝縮されていて面白い.

この後,また車に戻り,国道299号線へ向けて再出発した.駐車しているわずかな間に,「関東ふれあいの道」を歩いているのだろうと思われるハイカーや,地元の人と思われる軽自動車なども通り,交通の要衝・峠らしい一面も少し感じることができた.続きの様子は「最終回」へ回す.